こーひーぶれいく 2002年11月号 & 12月号

最強スポーツ
隠れ家
シープラヤータットマイという誰も知らないような道があります。その道に、クルアジェーゴーという誰も知らないようなレストランがあります。ここは、日本人もファランもほとんどいないローカルの店ですが、いつも一杯で予約しないと入れないほど人気のある店です。

家内を連れて食べに行ったところ、この店のお勧め料理、「スズキの塩焼き」 「パックブンファイデーン」 「オースワン」は絶品でした(注)。それ以降、この店はごく限られた人にしか教えない私たちの隠れ家的存在となっていました。

ある日、予約の電話をすると 「今日は予約しなくてもいい」との返事が返ってきました。店についてみると、確かにガラガラです。どうしたんでしょう。メニューまで写真付き英語付きのものに変わっていました。タイ語だけのローカルローカルしていたあの店はどこに行ってしまったのでしょう。メニューの裏側を見て気がつきました。新しい支店が3つもできていたのです。しかもこの店の3つの支店は、すべてこの本店から1キロも離れていないのです。本店はそれ程便利なところにありませんから、当然客は、交通の便のいい他の支店に流れるでしょう。どうしてそんなことをするのか本店のウェートレスにも理解できないそうです。オーナーは、美味しければ、どこでも売れると思っているようですが、あまい! 実にあまい! おしるこに砂糖と蜂蜜をかけて食べるようなものです。

支店が増えて、今後この店の料理は、白日の下にさらされるでしょうが、本店は、本当に私たちの隠れ家になるような気がします。

(注) 「スズキの塩焼き」は、日本人好みの焼き魚です。この店独特のタレをつけて食べます。「パックブンファイデーン」と聞いて「なぁんだ」と思うかもしれませんが、ここのは特別です。“素晴らしい歯ごたえ”とだけいっておきましょう。「オースワン」は、ボリューム満点。口の中でとろけます。また、この店には、メニューに書かれていない「香港ソースづけ蒸し鳥」という料理があります。その店の、ウェートレスにあるかないかを聞いて見て下さい。あったらラッキーの幻の料理です。ただ、これは従業員の食事との説もあります。

雨季
10月14日の大雨の後、青空が広がるさわやかな日が3日続きました。これを見て、早々と雨季明け宣言をした方がいらっしゃいました。東京三菱銀行の日高女史もこれに賛同しました。これに対し、家内は「まだ雨季明けしていない」派でした。この後、雨の日が到来しました。この時の2人の会話です。

 家内 「ほら、まだ雨季は明けてなかったでしょ」

 女史 「明けたと思う。乾季でも雨は降るのよ!」

この後、雨が降る日が続き、「雨季明け宣言」は撤回され、日高女史もそれに同意しました。家内の勝利が決まりました。

11月3日、多くの人が 「雨季明け宣言」を出しました。今回は、家内も同意です。ところが、日高女史は、「まだ雨季明けしていない」派から離脱していません。お天気がしばらく続いたある日の2人の会話です。

 家内 「さすがに、もう乾季ですよ。」

 女史 「まだ、雨季は明けていないと思う。雨季でも晴れの日が続く時があるのよ!」

11月14日、昨日に続き雨が降っています。日高女史の勝ちです。

 家内 「もう乾季だと思う。乾季でも雨は降るもん・・・」

タイの病院 その1
5年ほど前、下痢や食中毒とは全く違う、原因不明の腹痛で入院しました。急だったので、近くのバンコククリスチャン病院に駆け込みました。タイでは有名な歴史のある大きな病院ですが、ほとんどタイ語しか通じません。当時は、まだタイ語を話せませんでしたので不安いっぱいでしたが、周りの人は、「タイの医者のレベルは高いんだよ」となぐさめるように言いました。

入院した翌日の朝、医者が検診に来て、検査をするから食事を2食抜くようにと言いました。そもそも食欲などありません。ところが30分後、食事が運ばれてきました。付き添っていただんなが思わず、「食事しちゃいけないって言われたぞ」と言うと、看護婦が「あらっ、そう?」と、ベッドの脇の札を見て「あらまぁ」と言いながら、トレーを下げていきました。食事禁止の場合は、黄色の札がかけてあるようです。

昼食もまた運ばれてきました。今度は、こちらが最初から札を指差して教えてあげました。やはり「あらまぁ」と言って下げていきました。

医者はレベルが高いかもしれませんが、看護婦や職員には、ちょっと問題がありそうです。病の床についていても、油断はなりません。

そういえば、川島は、10年ほど前に飲み屋のトイレで血を吐いて、バムルンに入院したことがあるそうです。原因は、胃潰瘍でした。点滴を受け、薬を飲んで静養し、1週間が経とうとした頃、医者が「もう大分よくなった」と言いました。

その晩、それを祝うかのようにローストビーフが出ました。さすがバムルンは違うなぁと、大喜びしながら久々に豪勢な食事を楽しんだそうです。

食後、また医者が検診に来ました。「そろそろ、お粥を食べてもいいかな」「えっ? お粥ですか・・・?」 その夜、一晩中、胃がシクシクと泣いていたそうです。

タイでは、たとえ病院の中にいても、自分の体は自分で守らなければいけません。

タイの病院 その2
検査のために食事を抜いていた朝、看護婦が尿をがまんするように言い残していきました。1時間後、別の看護婦が尿検査のカップを持って来て、個室のトイレを指差します。用を済ませてホッとしていると、最初の看護婦が入ってきました。

「そろそろ尿がたまってきた?」 「もう検査したよ」 「なんの検査?」 「尿検査」 「なんでしたの?」 「え〜っ?」 「だって尿検査しろって・・・」 「(ヒステリックに)私の方が先に我慢しろって言ってたでしょ!」 「えっ・・・?」

早い者勝ちの世界なのでしょうか? それならなんのために我慢しなきゃいけないのかと尋ねると、彼女は、「ウンタサン」という言葉を何度も繰り返します。「タ」にアクセントがあります。「一体、何語だ?」 さすがのだんなもわからずに困っています。彼女のヒステリックな「ウンタサン」の言葉が耳に焼きつきます。とにかく、我慢して検査をするしかありません。

昼ごろ、いよいよトイレに行きたくなりました。看護婦に「よし、検査室に行きなさい」と言われて行った先には、「ULTRASOUND」と書かれていました。

 「ウルトラサウンド → ウントラサンド → ウンタサン」 

な〜るほど・・・。そういえば、タイ人の友人の子が「ウンター」というニックネームで、「ウルトラマン」からとったと言ってました。もっと早く思い出すべきでした。

謎が解けてすっきりしたところで検査です。ところが、ドクターがお昼に出たばかりなので後1時間待てと言われました。「も〜トイレ、我慢できないよー!」

結局、検査をしても腹痛の原因はわからないまま、5日ほどでだんなが無理やり退院させました。いつの間にか痛みも大分やわらいでました。無事に退院できて、ホントによかったです。

最強のスポーツ
悪者との戦いに勝てる最強の実践向きスポーツとは何でしょうか?

頭の中でシュミレーションをしてみますと、武器そのものを使うスポーツを除けば、やはり野球です。石を投げれば組み合うこともなく一撃で相手を倒すことができます。野球選手は、毎日、相手の顔や胸に向かってキャッチボールをしていますので、コントロールは抜群です。でも、相手がテニスの選手だと、投げた石をラケットで打ち返し、返り討ちに遭う可能性があります。ただ、テニスの選手は、打ち返すことができても、攻撃力が今一つなのでNO.1にはなれません。サーブで石を相手にぶつける技も考えられますが、ラケットを振り上げている内に悪党に逃げられてしまいます。

格闘技家は紙一重でパンチをよける訓練をしているせいか、飛んでくる石に対しても本能的にぎりぎりのところでよけようとしますので、結局、あたってしまいます。考えてみると長生きできないかわいそうな習性です。また、組み合おうとしても、野球選手の足の方が速く、捕まえられません。

野球選手にパチンコ玉を携帯させれば、場所を選ばない無敵のファイターとなります。やはり、悪者との戦いに勝つのは、銭形平次と野球選手です。

日焼け
欧米人、特に北欧の方々にとって、冬季に暖かい国に行き避暑ならぬ避寒することが憧れであり、冬季の日焼けが一つのステータスシンボルだそうです。しかも、水着の跡がついていない日焼けがよいらしくヌード禁止の海岸でない限り東南アジアのどこの海岸でもヨーロッパのおばさま、おねえさま方のあらわな姿を見ることができます。でも、見たくないものも中にはあるので注意が必要です。

海に遊びに行きますと、日中に泳いだり、日光浴をしたりしているのは白人、日本人、中国人、そしてタイのオカマだけです。日焼けに対する白人の執念は、相当なもので、浜辺のあちこちで、すでに火傷状態になっているのにも拘らず、ひたすら直射日光に身を晒す姿を見ます。何か、「ムーハン」(子豚の丸焼き)に似た悲壮感さえ漂ってきます。白人は、直射日光に弱く皮膚癌になり易いというのに、何がそこまでさせるのでしょうか。

逆に正当タイ人女性は、日焼けを気にします。ステータスがある人は、男性でさえも日焼けを嫌がります。生まれながらにして黒い人は大勢いますから、このタイでは白さがステータスシンボルであり、タイの女性は日中には絶対に泳いだりしません。日光浴など皆無です。タイの女性たちは日が沈みかけた夕暮れの一瞬に、ワンピースの水着の上にTシャツと半ズボンで海岸に現れるのです。強い太陽光線の国で培われた彼らの知恵です。それにしても、ここまで用意周到ながら日に焼けてしまうのですから少し同情してしまいますね。

カンパニートリップ
会社のスタッフと2泊3日でクラビに行って来ました。クラビは、以前にも行ったことがありますので、あまり新たな発見は期待しておりませんでしたが、やはり旅というのは、いろいろなことが起こるものです。

<その1>

初日の昼食は、ピピ島のビーチ沿いのレストランです。
「よしっ、ビールだ!」「マイミー」「えっ!?」

こんなこともあろうかと、ちゃんとウイスキーを持参していました。
「じゃぁ、氷と水!」「マイダイ」「え〜っ!?」

ナントその店は、ムスリムの人がやっていて、敷地内での飲酒は一切許さないというのです。

「そんなの反則だ〜!」とリゾートでの昼からビールを楽しみにしていた社長は怒っていましたが、店員も弊社スタッフもそんな酒飲みの怒りなど理解できないようでした。


<その2>

ピピ島から小型ボートで帰る途中、大雨になりました。海の真ん中で、どこにも避難しようがありません。雷が鳴り、雨が叩きつけ痛いほどです。ボートごと波をかぶり大揺れです。みな、寒さと恐怖でガタガタ震えています。船がひっくり返った場合にどうするかと、最悪の事態を想定しました。まるで漂流船、なんかの映画のシーンみたいです。やっとの思いで宿に着いた時にはみなヘトヘトでした。でも、無事だったので言えるんですが、ちょっと面白かったかも・・・。


<その3>

クラビから1時間半かけて、ホン島に行きました。なかなか秘境チックな島です。午後、雨が降ったので小屋に避難しました。窓から外を見ていると、大きなトカゲのようなものがのっしのしと歩いています。ワニくらいの大きさです。カメラを手にして思わず雨の中を飛び出しました。イグアナ? まさかコモドトカゲの種類? あまり近づくと襲われそうです。ドキドキしながらシャッターを押しました。近くにいたタイ人が言いました。「見たことないの? あんなのバンコクにいっぱいいるよ。うちの庭にもいるし」「うそ・・・」 

はしゃいでいたのは、社長と私だけでした。

クイティアオプラー
ヤワラートにあるバンコクで一番うまいといわれるクイティオプラーの屋台に食べに行きました。この屋台は人気があり、オープン前の準備時間から待っているお客がいます。営業開始時間は夜の7時からです。私たちが着いたのは6時40分でしたが、すでに20人以上も座って待っているではありませんか。屋台はただいま準備中です。7時ちょっと前から注文を取り始め、1-2分後には、一番長く待っているテーブルを皮切りに次から次にクイティオが出てきました。7時15分にはもう私たちのテーブルにクイティオが届きました。1人2杯以上食べる人がほとんどですから、かなりの注文数であるにもかかわらず、15分で私たちの番が来るとは恐るべきスピードです。屋台の仕事は完全に分業で全員が熟練したプロの手つきです。この手つきを会社近くのクイティオ屋のおじさんに見せてやりたいものです(私たちはこのクイティオ屋を「遅いおじさんの店」と呼んでいます)。

私たちは、ガイドブックのお勧めに従って、バーミーヘーン、センヤイナーム、キアウプラー(魚のワンタン)とフークワイ(かまぼこのようなもの)を注文しました。解説書通り、化学調味料の入っていない澄んだスープとルークチンです。おなかを空かせてきた上に30分以上も待たされたせいもあり、この上ないうまさです。

この屋台は、7時に営業開始し8時までに売り切れ閉店になります。すごい屋台です。

ヒーロー
今から考えると子供の頃は少し貧乏だった気がします。子供の頃に読んだ漫画の主人公も、何故だか貧乏でした。

「巨人の星」星 飛雄馬は、貧乏長屋に住んでおり、家の壁には穴があいていました。「ハリスの旋風」石田 国松が住んでいた野原の一軒家(きっと違法建築だと思います)のトタン屋根には、風で飛ばされないよう板と石が置いてありました。「明日のジョー」矢吹 丈は、“なみだ橋”の向こうのドヤ街に住んでいましたが、丹下 団平が “なみだ橋”の下に丹下ジムを作りましたので(違法建築です)、結局、ジョーは、なみだ橋を渡ることなく真っ白な灰になってしまいました。「アニマル1」東 一郎は、7人兄弟の長男で、オヤジと8人で船に住んでいました。「柔道一直線」一条 直也は母子家庭で、師匠の車 周作は空き地の小屋(きっと違法建築だと思います)に住んでいました。タイガーマスクは、暖かい人の情を知らずに育ったみなしごさ。

ヒーローたちは、服のつぎはぎと顔の傷が似合ってました。当時のガキは赤チンと青バナがお似合いでした。あの頃に帰りたいとは全く思いませんが、あの頃は、ガキも大人も貧乏がパワーになっていたような気がします。中国パワーもそれなのでしょうか。貧乏とはものすごいパワーです。


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